¡嗚呼!がまんできない・・・
by Hyde 1984.4.?
私、最近欲求不満なのである。 Salsaを聴いていても、いやSalsa聴けば聴くほどつのるばかりである。やりたくてがまんができなくなってしまう。
とにかくやりたい→もちろんSalsaが。レロライ倶楽部ができてしばらくはこれほどひどくはなかったんだけど、そう 「Our Latin Thing」を見てしまってからというもの、その前に見た(踊った)Salsa Party at The Loft IIのLive との相乗効果で、とにかく完全に再び燃えあがってしまったのだ。
思いおこせば大学にいたころ1(まだ最近のことです。念のため。)やはり同じような欲求不満に落ちいったものだ。いくらSalsaをやりたくてもメンバーが集まらなくて、そのころはまだ数少なかった手持ちのSalsaのレコードを聞きながら、歯がゆさに身もだえしたものだ。それをかろうじてラテン、フュージョンバンドでまぎらわしては、 Del Solのライブに行って再び燃えあがりのくり返しだった。
でもレロライのある今、あのころとは比べものにならないほど、いい状況なのだ。マエストロ小栗さん、高校からのつきあいの Señor Yókoi、そして将来有望な久保少年。ひとりで悶々としていたころと天地の差!そのうえに Piano Bassも見つかったとか、色んな話もあったのにー。
それなのに、ねえ小栗さん。最近どうも話が不透明で、私は何が何だか、よーわからんのですよ。岐阜と名古屋の距離はこんなにも遠いものだったろうか。そんなことはないよね。そう思いたい。
とにかくやりましょう。コンフントにならなくても、セステートだって何だって最初はいい。歌う人がいなくてもなんでも、とにかくはじめようよ。私はもうがまんできない。大阪にもSalsa Bandができた2というし、対抗するわけじゃないけれど(と言いつつ実はすっかり意識して)負けちゃいられない!
一日も早くConjunto „Le Lo Lai3”をものにしてレロライ倶楽部自らの手で、Salsaファンをこの地域に増やそう。 私の経験からいって Salsaファンにするには、ライブを見せるのが一番!なんたって強力。(私はこれで学生時代に4人もひきずりこんだ。)しっかりハウスバンドがあれば、こまめにLive Party だってできるし(もちろんDel Solなんかを呼んでBig Partyをやるのもいいけど、ハウスバンドならギャラがいらないもんね。)どこかのLive House へ乗りだしていくことだって出きるし、そうやってSalsaを知ってもらうチャンスだってたくさんできる(と勝手に思う)。
とにかく「Our Latin Thing」を見てから、あのパチェーコや、レイ・バレットや、ミランダや(かわいかったね!)、ウィーリー・コロンや、オレステス・ビラトや(若かった!今サンタナで演っている人と同一人物だなんて)、チェオ・フェリシアーノやボビー・バレンティン、エクトル・ラボー、ラリー・ハーロウ、サントス・コローンまでが、いかにも楽しそうに演ってるのを見てからというもの、
もう私は
¡がまんできない!
- Hyde大学時代についてはhttps://conjuntodomestico.com/318/を参照 ↩︎
- Salsa El Primero ↩︎
- 結局、Conjunto Lelolaiは1984年11月 当時、小栗さん勤務先の岐阜刑務所で開催の矯正展がデビューとなった。メンバーはマエストロ小栗 (Timbales)、Hyde丹羽 (Conga)、Yokoi (Bongó)、アルベルト藤下 (Kb)。翌月のレロライ倶楽部主催クリスマスパーティでも演奏したが、当時演奏できたのは、「Estrellas de Fania」のリフを延々繰り返すだけだった。 ↩︎
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