ナンパ・ミュージックとしてのサルサ? -Lelolai Vol.4

Lelolai Vol.4

ナンパ・ミュージックとしてのサルサ?
by おさるさ大橋 1985.1.1

わけのわからんタイトルで始まろうとしておりますが、私は今、サルサについて書こうとしています。そもそもわては“サルザの何たるかを知らない。知らないというよりも、よくわからない。他の音楽にくらべてサルサが良質の音だとか、 そんな風に思ったこともないし、ただ単に、好きなんです。
そんなボクチンの書く文章だから、まあ、ハバナ・クラブに氷でも落して、 過激にリラックスしながら、 ティト・ロドリゲスか マタンセーラでもかけながら、読み流してほしいものだ。

ワイがサルサという単語に出逢ったのは、10年も前のことでしょうか。 サンタナが2枚目のアルバムをリリースした。く天の守護神>である。その中で、ティト・プエンテの「Oye-Como Va」を取り上げていた。これはチャチャという種類の曲で、正確にはサルサより前のダンス音楽らしいけど、くわしい学術的なことは、ワタシにはさっぱりわからないのであった。でもピーンときた。 楽しかった。 うれしかった。
思わず体がリズムをきざんだんだぜイ。

「顔は冷静をよそおっていても、口ではイヤイヤといいながらも体は…。正直じゃねえか。 えっ! ウリウリ!」

それから、ほぼ10年にわたって、ワタクシはサルサを求めてレコード店をさまよったのでありますが、「何、それ?」という冷たい言葉と視線ととも、ぼくのプレーヤーでついぞサルサに針が落されることはなかったのだ。ここに、そう、ここにこそ、日本のレコード業界の姿勢と現実が、いみじくも反映しているといっていいだろう。

欲しいものが手に入らない。 見たいものが見れない。聞きたいものが聞けない。そんな状況が感受性豊かな少年を、非行に走らせるものです。

思いはつのった。 思いは、やぐらごたつの座ぶとんをぬけて、たたみにまで根をはった。 その根が新しい芽をかき、失意の花粉をあたり一面に飛ばし始めるころ、ぼくは中古レコード店で、1枚のレコードを手にした。
チュイート・エル・デ・バジャモーンのLPだった。どこのどなたかは、 ゼーンゼン知らなかったが、そのジャケットは何かサルサを臭わせるものがあり、手にしたのだった。

イかった。後で、プエルト・リコの白人民謎の大センセだと知った。これも、本来サルサと呼ばれている種のものからは、少しはずれるらしいが、何かプエルト・リコ人の中に息づいているものが、 ぼくを魅了した。

それからというもの、サルサ魂は、ぼくに味方した。 初めてサルサ世代の奏でる音盤を手にしたのは、ルーベン・ブレイズのであった。ぶっとんだ。
これこそがサルサなのね。これが、まさにサルサなのか。
長く長く待ち続けた沈黙のサルサは、今おいらのプレーヤーの上で、くるくるまわっている。

それからというもの、サルサに関しては、私はいっきにつきまくった。東京へ行った折、レコードを買いこみ、名古屋のオープン・ハウスで、 ファニア・オール・スターズの<アワ・ラテン・シング>の上映によって「レロライ・クラブ」の真面目なサルサ青年達と出逢い、そしてヴィヴィッドのサルサ発売で、ボクのサルサ熱は38度5分にしたのであ~る!

聴いて良し、唄って良し、踊って寂しの三拍子そろったサルサです。 でも、ひとり者の君、彼女がいないのなら、聴かんほ~がええぞ。ざまーみやがれ。

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