ライブ「¡トロピカルだぜ サルサナイト!」’85チラシ裏面 1985.5.1
またまたやってくるサルサ・エル・プリメーロ<br>栄がニューヨークの夜に
by 野口 越生
昨年8月、岐阜市内で行なわれたサルサ・エル・プリメーロのライブ1はエキサイティングだった。東京か大阪でしか聴けなかったサルサのライブが東海地区で聴けるだけでも目頭が熱くなってしまったのに、出てきた音もウィリー・ロサリオ、ソノーラ・ポンセーニャの曲が中心の、ダンサブルなプエルト・リコ系サルサで、うれしくなってしまった。 会場も踊れるスペースがたっぷりととってあったことも盛り上がった要因だった。
さて、今年は会場を名古屋・栄のグレイトフル・ユッカ2に移して行なわれるわけだが、サルサのライブを行なうのにふさわしく、テーブルもいすもとっぱらって一夜だけのサルサ・クラブにする予定だ。
100枚の名盤を聴くよりも1度のライブを見ていただきたい。 サルサの楽しさがわかっていただけると思う。
ライブ・チャージは3,000円と高いが、100人のオーディエンスのために13人の楽団が大阪からやってくるのだ。 思いっきり踊って楽しもう。
¿What is Salsa? サルサって何?
by 丹羽 英人
ニューヨーク、サウスブロンクス、25時、ナイトクラブ。
酒(ラム)とダンスとアダルトな恋。 あるいはプエルト・リコはオールドサンファンの昼下り。 ギラギラ太陽と風…。そんな情景にぴったりな音楽一それが「サルサ」だ。
「サルサ」ーNYラランとも言われるとおり、サルサはラテン音楽で、ペレス・プラードでおなじみのマンボや、社交ダンスのルンバ、チャチャチャと同じキューバ音楽をルーツとするラティーノ(ラテン・アメリカ人)たちの間で、最も支持されているポピュラー音楽であり、ダンス音楽である。
キューバ革命以降、NYに残ったキューバ人たち、そしてNYにあふれ、続々とNYにやってくるプエルト・リコ人たち自身の音楽が必要とされた。 それは都会で生きていく厳しさ、淋しさと郷愁一都会のラティーノたちのセンティミエント(センチメンタル)を代弁する唄であり、ラティーノの音楽としての必須条件―すなわち躍れるリズムだった。これらの条件を満たし、ポピュラー音楽として育っていったのがサルサだ。
このサルサは70年代に入り大きく開花し、やがてNYの音楽から、汎カリブ的ポピュラー音楽となっていく。このサルサパワーは70年代中ばに、日本にも到達している。
サルサのサウンドをサルや以外の音楽で誤解を恐れずにあえて説明するならば…
松岡直也+キッド・クリオール&ココナッツの世界となる。その松岡直也作の中森明菜の12インチシングル「赤い鳥逃げた」は、ドラムこそ最近のドンパラ・サウンドであるが、その曲の構成といい、ティピカルなサルサに非常に近いものがある。
サルサの曲はほとんどソン・モントゥーノといわる形式をとるが、 「赤い鳥・・・」もほぼその形式である。まずソロの唄があり、その後にコーラスとソロとのコール&レスポンスが繰り返し展開される。 特徴であるこの繰り返しがダンス・ミュージックとしてのキー・ポイントなのだ。 そしてこれがサルサの一番の魅力だ。
そしてまた、哀愁(センティミエント) あふれるメロディーあるいは躍動感あふれるリズム。それはあくまで都会のサウンドであるのにもかかわらず、あくまで明るく健康的なトロピカル・サウンドでもあるという矛盾とも言える特徴も魅力である。
- ¡トロピカルだぜ!サルサナイト 1984.8.12@岐阜サンホールにて ↩︎
- この企画を持ち込んだ当時は、全くツテもなくまさに飛び込みで持ち込んだ。とはいえこの時は「貸し切り」の形だった。この店のオーナであった畔柳 賢朗さんの母上は今池でYoccaというライブハウスを営まれており、後にConjunto Domesticoの初代ピアニストとなった水谷先生が専属ピアニストを務められた。残念ながら、グレートフルユッカはすでに閉店して久しい。はっきりした記録が確認できないが、すでにConjunto Domesticoは活動を開始していた1987年よりは後で、1990年前後であろうと思われる。閉店時のセッション大会らしきものに参加した記憶がある。 ↩︎
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