午後3時のメレンゲ 午前3時のボレロ
Por永田 1985.11.1
AM4:00
ーあたりはまだ、漆黒に近い闇だ。しかし、夜の息づかいはおさまり、夜明けの気配が近づいて来る。 フエルトリコの貧しい農民の間から生まれた<ヒバロ民謡>そのエッセンスに現代的衣裳を施したティト・バレンタインのアルバムは、紫の間に輝く水晶だ。
そこには、遙かニューヨークから故郷プエルト・リコを想うメランコリィがある。
( Tito Valentin “Tierra, Musica y Sentimento”)
AM6:00
ー陽が昇り、外が少しでも明るくなれば、もうジッとしてはいられない。生気に溢れた子供達は、われ先きにと街頭へ飛び出していく。今日という日への途方もない期待感を胸に秘めて。”Our Latin Thing”の冒頭のシーンのように。打ちたたかれる打楽器は、心臓の鼓動のこだまの様でもある。スパニッシュ・ハーレムのストリート・サウンドは打楽器のみで演奏される、グァグァンコであり ルンバだ。まだ見ぬ故郷アフリカの色濃いリズムの共宴。
心温かい唄声は、ビルヒリオ・マルティだ。
(Virgilio Marti “Guaguanco”)
AM: 10:00
ーすでに陽は高い。今日も一日がうまく行っているのを感じる。現実と自分との一体感。ペリコ・オルティスのような華麗なサウンドから一歩身を引き、どこか秋空を想わせる、透明感とかすかな冷気。久々のラファエル・デ・ヘスースの唄声はそんなことを感じさせる。
(Rafael De Jesus “En Grande”)
PM 0:00
ー人々のざわめきが、引き潮のようにいったん引いてしまうと、 エアポケットのような静寂が一瞬訪れる。
もう、引き返すことは出来ない。
イスマエル・リベーラJrに、ルイギ・テクシドールJr.、そしてピート・エル・コンデの娘とサルサを色彩った巨人達の二世が唄う時代になってしまったのか。けっして上手くはないが、アルバム全体に流れる五月の若葉のような生命感はどうだろう。さわやかで、清々しく、そして親密感がある。
(Los Hijos de La Salsa )
PM3:00
一軽い疲れと気だるさが忍び寄って来る。躰が舵のない小舟のように行き先もなく漂う。そんな気持ちに、もう一度おもりをつけ、明日の方へと躰に弾みをつけてくれる。現在のメレンゲはどれをとっても、新鮮な生命の躍動感そのものだ。その中でも、とびっきりのアレックス・スイートネスに身も心も溶け出しそうだ。
( Alex & Orguesta Liberacion )
PM6:00
一黄昏時は、一日の最も神秘的な時間。眼して見えない神々達が夕暮れの街角ですれ違い、挨拶を支す。これ程、昔からある「ラテン」という言葉にぴったり来るグループもないだろう。
しかも、それは最早誰も演奏できないラテン風味(サボール)そのものだ。ウェルメイドなボレロやソンのまばゆい輝き。
しかし、それももう二度と聴けない。ひとりになってしまった今となっては。
( Corporacion Latina “Presenta Pucho Y Guelo”)
PM10:00
ー人は夜のために生きる。夜はかき消されてしまいそうな自分に、もう一度スポットライトを当ててくれる。
舞台は眼の前にある。プエルト・リコの土から生まれた、土の香りそのもののサウンド。それがボンバだ。懐しさと温かさ。繰り返されるサックスのリフに、大地の優しさを見る。
( Roberto Anglero “Tierra Negra”)
( Tierra Negra De Roberto Anglero – “Tierra Negra”)
AM 2:00
ー「魅惑の島 (イスラ・デル・エンカント)と呼ばれるプエルト・リコも、すでに眠りについたようだ。かすかな波の音と夜の息づかいだけが聞こえてくる。目覚めているのは恋人たちだけだ。夢みるようなストリングスに包まれたティト・ロドリゲスのボレロ。夜の闇を背景に、七色の虹のように色を変
えながら浮かんでは消えてゆく。 南十字屋が見えたと思ったのは、夢だった
のだろうか……
( Tito Rodriguez “En La Soledad “)
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