Rubén Bladesがやって来る!! -Lelolai Vol.6

Disc/Music Guide

Rubén Bladesがやって来る!!
Hyde 1989.7.25

いやぁ、めでたい。 待望のルベーン・ブレイズ (Rubén Blades) 初来日、しかもその初日が名古屋初の本場サルサ・ライブである。
『栄で本場サルサが聞ける日』がとうとう実現したのだ。しかもサルサ界から世界に打って出たスーパースター、 ルベーン・ブレイズなのだ。

ルベーン・ブレイズはパナマ生まれ。 NYに出てまずソング・ライターとしてスタートする傍ら、レイ・バレットのオルケスタなどで歌手をつとめる。 「レイ・バレット・ライブートゥモロウ」①でのティト・ゴメスとの「グァラレ」や「バン・バン・ケレ」等の名唱を残しているが1、彼に「ギターをかついだ渡り鳥」風のファースト・ソロ・アルバム②があることはあまり知られていない2

彼の名声が一気に上がるのはウィリー・コローンとのコンビ以降である。 以来、 コローンの得意とするトロンバンガ・サウンドが彼とのコンビ解消以降もルベーンのトレード・マークとなる。実質上のデビューとなった「メティエンド・マノ」③は、そのポップなサウンドとはうらはらに日本のサルサファンにはおなじみの(?)「パブロ・プエブロ」等厳しいスパニッシュ・ハーレム “バリオ”の現実をも映しだしている。

次作の「シェンブラ」 ④が彼の人気を絶対的なものにする。特に「ペドロ・ナバーハ 」の大ヒットはNYのみならず汎カリブ的なヒットなった。同時に「プラスティコ」 「シエンブラ」 等のメッセージ・ソングも含む大作であり、この辺りのメッセージは満を持してリリースされたドラマ・アルバム「マエストラ・ビーダ」 ⑤に結実している。しかし次作『カンシオネス・デル・ソラール・デ・ロス・アブリドス』 ⑥では、ネタを出し尽くしたのか小粒な作品となっている。

当時のファニアはボクシングと映画にも手を出しており、そんな折にルベーン主演のB級映画「ラスト・ファイト」が制作されている。その映画と同時リリースとなった(サントラではない)『ラスト・ファイト」⑦、映画の方はどうしようもなかったが特に8分に及ぶ大作 「ジョ・プエド・ビビール・デ
ル・アモール」やボビー・ロドリゲスに書いたものをリメイクした「ホワット・ハプンド」等こちらの音はなかなか見事な出来である。しかし、 ウィリー・コローンとのコンビもこのあたりまで。これを最後にコンビを解消する。このあとファニアには『エル・ケ・アセ・ラ・パガ」⑧を残しているが、中途半端な出来となっている。

’84年ルベーンはメジャーのエレクトラに移籍、 ホーンレスのバンド、セイス・デル・ソラールでメジャー市場に進出する。記念すべきその第一作「ブスカンド・アメリカ」⑩はまだまだ試行錯誤のあとが生々しいが、名曲「トドス ブエルベン」 は、 その後、彼主演の映画『クロスオーバー・ドリーム』(サントラ) ⑫のテーマとなり元祖3のビルヒリオ・マルティと共演する。

2作目「エセーナス」⑬ではそのホーンレス路線がほぼ確立されている。 前作であったバイブは姿を消し、シンセサイザーがメロディを押さえている。 ドラムスがロック色を強めており、 ラスト・ナンバーの「ムエベテ」はディスコ向けで英語バージョンも出た。

3作目「アグア・デ・ルナ」⑭は既に安定成長型の音になっており一定水準の音とバジュナータへの挑戦等の試みはあるものの、ガルシア・マルケスの本からとったという曲名とは裏腹にまとまりをかくものだった。

その後の彼は「サン・シティ」への参加、ルー・リード、ジョー・ジャクソンとの共演、映画『ミラグロス』出演、ノン・サルサのソロ・アルバム 「ナッシング・バット・ザ・トゥルース』⑮を発表する等英語圏での活動に中心を移していたが、一転トロンバンガ・サウンドのソン・デル・ソラールを率いてのアルバム「アンテセデンテ」⑯をリリースした。

尚、エレクトラ移籍以降もファニアから未発表テープ集が2枚発表されている。’84 リリースの「ムーチョメホール」⑨は曲数は少ないもののなかなかの佳作でボレーロ版の「シエンプラ」やドゥワップ・チャチャの「ムーチョ・メホール」、ヒット・チャートNo.1をとった「アモール・パケ」等が収められている。 その後リリースされた 「ダブル・フィロ」 ⑩ はさすがに残りテープというイメージで完成度も低く、エクトル・ラボーの大ヒットのリメイク版「エル・カンタンテ」等悲しくなるような不出来である。

さて、最近のルベーンはウィリー・コローンとも和解し、再びトロンバンガでスパニッシュフィールドからの活動をしていると聞く4。来日公演は何しろ名古屋が初日、メンバーも良くわからないが5、きっとサルサを演ってくれるだろうと期待している。
もし彼が英語で歌うことがあれば、力一杯ブーイングしたい。やはり彼はラティーノであるのだから。

ルベーン ブレイズ ディスコグラフィ

※末尾の「CD」は1989年7月当時CDで入手可能だったもの

Ray Barretto Live-Tomorrow / Ray Barretto y Su Orq. (ATLANTIC)
De Panama A New York / Rubén Blades (ALEGRE)
Metiendo Mano / Rubén – Colon (FANIA)
Siembra / Rubén – Colon (FANIA) CD
Maestra Vida Prinera Parte / Rubén – Colon (FANIA) CD
 Maestra Vida Sequnda Parte / Rubén – Colon (FANIA) CD
Canciones Del Solar De Los Aburridos /Rubén – Colon (FANIA) CD
The Last Fight / Rubén – Colon (FANIA) CD
El Que la Hace La Paga / Rubén Blades (FANIA) CD
Mucho Mejor/ Rubén Blades (FANIA) CD
Doble Filo/ Rubén Blades (FANIA)
Buscando America / Rubén y Seis del Solar (ELEKTRA) CD
Clossover Dreams / SOUND TRACK (ELEKTRA)
Escenas / Rubén y Seis del Solar (ELEKTRA) CD
Agua De Luna / Rubén y Seis del Solar (ELEKTRA) CD
Nothing But The Truth / Rubén Blades (ELEKTRA) CD
Antecedente / Rubén y Son del Solar (ELEKTRA) CD

  1. この執筆当時、該当する所有レコードが’76年のこれしかなかった。実際のRay Barretto楽団参加は’75年の「Barretto」あたりらしい。 ↩︎
  2. そして、おそらくNYに出てくる前のものであろう1969年の「A Las Seis / Los Salvajes del Ritmo con Rubén Blades」という作品がある模様。 ↩︎
  3. Rumba版としての元祖。曲自体はペルーの曲である。ジャーナリストのセザール・ミロによって1930 年代に書かれたペルーのワルツ1アルシデス・カレーニョ作曲。1945 年にロス チャラネス デル ペルーによって初めて録音された。 ↩︎
  4. リリースとしては1995年のTras La Tormentaまで登場しなかった。これもがっぷり4つの共演ではなく、二人が歌っている曲もわずか、おそらく録音は別に行われたものと思われる。 ↩︎
  5. この時の来日メンバーは、アルバム録音時のSon del Solarにシンセ奏者が加わっていた記憶。FMで放送されたライブ時のラストナンバーMueveteでメンバーを紹介しているので聞き直せば判明するであろうが。。。 ↩︎

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